座禅瞑想が苦手

新卒で入社した会社で面倒をよくみてもらった先輩は、よく一緒に走らないか?今度チームで駅伝に出場するから出てみないか?と、誘ってくれたものだが、その頃のわたしはマラソンなどにまったく興味がなかったのでそのお誘いをお断りしたものだった。今のわたしだったら、喜んで参加したのに、タイミングの問題って大きいな。また、同僚や東京で出会った同年代の友人たちの中には、週末になったら、座りに行かないか?って言ってる人々がいた。座るとは、寺に行って座禅をしてみないか?ということ。そのとき、わたしは座禅にも特段興味がなかったので行かなかったものだ。これもタイミングといったところか。

 

今もわたしは座禅を行わない。気功を習って、気を感じられるようになり、自発功をやり出した頃に、座禅を1度してみたことがあった。でも、すぐにギブアップした。とてもじゃないけど15分以上座っていられない。体内に気が巡り出して、身体が自然に動いてしまい、ジッとしていられないのだ。踊念仏というものを、歴史の授業で習ったことがあるけれど、きっと踊念仏をはじめた人も、座禅が苦手だったんじゃないかと、親近感がわく。座禅よりも、ダンス、ランニング。とにかく、身体を動かしたくなる。わたしは、座禅で長時間座っていられるくらいに、気を内にためられないのかもしれない。とにかく、動きまわって循環させる。それが、わたしにはきっとあっている瞑想方法なのかもしれないなと。

 

ふと、東京マラソンの第1回開催がいつだったのかと思って調べると2007年だという。ちなみに、timeのperson of the year 2006は、Youだったよな。今やあたりまえのようにみんなが使うyoutubeといったソーシャルメディアが台頭した頃。この時期と同時期に東京マラソンという祭りが始まったというのは偶然ではない気がする。とにかく、ソーシャルメディアをはじめとした断片的な情報に埋もれる生活の時間が増えると、逆に今度は、一点集中したいという無意識的な欲望が生れてくるんじゃないかと。アクセルとブレーキは生命システムの両輪であるけれど、情報処理においても分散と集中、どちらか一方ではなく、どちらも両立させていく。うまく、バランスをとっていく1つの方法が、わたしにとっての、ダンスやランニングでもあるんだろうなと、ふと。