20191229

2019年の2月から始めた走るという行為も日常になった。
走ることと勉強の共通点を感じることが多いけれども、なんといっても違うところは、毎日やりたくてもできないとろだ。

勉強も走ることも今この瞬間に意識を集中させるという点においてその共通項を見出しているし、勉強も走ることも含めて瞑想とわたしは考えている。

 

だが、走ることは難しい。
まず、痛みというものとどう付き合っていくのか、これが曲者だ。

気持ち的にはもっと走りたいと思うのに、足が痛いとこれ以上続けてはいけない。
もうちょっとやりたいという気持ち、それも欲と言うなら、それを自制しないといけない。

ハーフマラソンを走って1週間が経過した。
走った1日目と2日目は本当にきつい筋肉痛になり、階段を降りることに苦労した。
しかし、自然治癒力とは驚くべきもので、3日目にはましになってきた、10kmを歩いている。6日目の昨日はキロ8分程度のジョグを入れつつ14kmを歩いている。


とはいえ、ハーフマラソン を走る前から違和感を感じていた右脚の前脛骨筋と後脛骨筋の間、足の内側が、鈍く痛んでいる。太腿やハムストリングの筋肉痛はすぐに治ったのに、ハーフマラソン 以前からあった、痛みのみが残ってしまう。

今すぐにでも、時間のある今、20200202のフルマラソンのトレーニングに向かっていきたいのに、鈍い痛みをどうするか悩んでいる。この鈍い痛みの厄介なところは、走りはじめたときは痛いもののそのうち消えるところにある。だから、走りたいと思えば走れるのだ。やれないことはない。だから、どうするのかを悩むところではある。

 

そしてどうするのか?この痛みはハーフ前からあったことから、慢性化している。
これ以上慢性化させないためにも、一旦完全完治を目指して、走ることを勇気をもって、中断することにしたい。走りたい気持ちがあるのに、そうできないということはイライラすることでもあるが、これも自制の練習かもしれない。勉強にはなかったことだ。勉強したいのにできないなんてことはない。

しばらくは、歩くことと自動運動に集中したい。
自動運動はあいかわらず、生成してくるので、調整するところがあるのであろう。

 

早く走れるようになりたい。