自動運動1

まず、私の体験について話します。

私は、自分の意思(大脳皮質)を使って、筋トレやストレッチのメニューを作っていません。リラックスしていると、自動的に身体が動いてきて、足をまわしてみたり、腹筋みたいなことをやってみたり、音楽に合わせてフィーリングで踊ったり、いろいろな動きが身体の方から生成されてくるという経験を現在進行形でしています。

 

最初不思議だったのは、トランス状態に陥ってるわけではなく、冷静な観察者としての意識の「私」が存在することだった。その中で、身体が勝手に動いてなんだか、調整をしている。意識としての私はどうして、そのような動きがおこっているのかがわからない。今までの経験では筋トレといえば、メニューを決めてそれを意識でもって運動を筋肉に指令してやっていた(皮質脊髄路)。だからしんどくて長続きしてこなかった。でも今私がやっている、筋トレ?は身体から勝手に動きの提案がおこってくるので、それを私は観察してやめたかったらやめたらいいし、ほっといて観察しておとくというのもありで、かなり自由な状態だ。私という意思は、まるでオーケストラの指揮者か、はたまた、サッカーの監督といったところか。各身体部位に動きたいように動いてもらいそれをだまってみている。ただ、自分の意思でこういうのもありなんじゃ?的な指令を出すこともできるし、もう今日はやめようということも意思が指令をだすことで可能となる。決して身体側に、完全にコントロールをもっていかれているわけではなく、やはり私という意思が抑制できる。

この運動はなんなのだろう?

このことについては、自分の身に起きていることなので、今後考えていきたいと思っている。この運動が生じたのが、2019年の1月21日だから約5ヶ月、日々この運動を続けてきたことになる。その中でいろんな発見があった。自動的に生成してくる動きの中にはヨガのポーズとして紹介されているものもあった。太極拳のような動きもあった。気功家のような手の動きも生成した。指圧のようなものもあった。また最近では半跏思惟像の手のポーズもやるようになってきた。必ずといっていいほど、親指と中指を輪にしようとする。なぜ、親指と中指なのか、私にはわからない。このような体験から、私は、ヒトにはもともと、身体を自動調整する運動メカニズムがあるのではないか?という仮説をもつようになった。そして、ヨガや仏教や気功その他各種の宗教は、このヒトにもともと備わっている自動調整の能力に気づき注目してきた歴史があるのではないかとも考えるようになった。

自己免疫疾患や、癌にみられるように、身体の自己調節機能が狂うこともある。しかし、今の私はいたって健康である。ということは、いま私の身体がおこなっている自動運動は、身体知性が、私の潜在的に有する身体能力を高めてくれるためにやってくれている運動ではないのか?と考えている。そこで、私は自分の日々のマラソンレーニングに関して本を参考にすることはもちろんあるけれど、1番信頼したいのは、身体知性だと考えている。だから、スポーツジムに通って、器具を使った筋トレなどは今のところ行う予定はない。身体から生成される運動を行うことに専念したい。この5ヶ月だけでも随分と私の体は鍛えられ、自分史上1番と言えるほど引き締まった体型となっている。そしてなによりもすこぶる健康で前向きな気持ちで日々を送れている。走るだけでなくその前後で行う自動運動を今後も続けることで、どういところへ私は向かっていくのか、それを楽しもうと思う。マラソンをやるのは、競技で勝つためじゃない。タイムを縮めるためじゃない。毎日自分の身体に向き合うという生活を送り、私が与えられたこの肉体の可能性を引き出していくことだと思う。頭でっかちの部分もあった生活に終止符を打ち、これからは、身体知性と調和する生活を送っていきたいと思う。