【書物】私の身体は頭がいい

Harmony of our bodyは2019年の私のテーマとなっている。harmony of my bodyではなく、harmony of our bodyでなくてはならない。myだと、えらそうで、身体を自分が支配してるんだぜ的な思い上がりが見られる。けれども、our であるならば、細胞1つ1つと協調してやっていきたいと思っております。わたくしの身体を超えた他の身体や自然などとも協調させて頂きたいと思っております。という、謙虚な姿勢をもつことができる。今までずっと一緒にいたにもかかわらず、この身体のことをわたくしはまったくといっていいほど理解できていないし、解剖学や生理学などの各種の学問を修めたところで、身体の天才にはぶったまげる。どうして、心臓はうまく動き続けられるの?自分にとって害となる細菌やウイルスのみをうまくやっつけて、とくに害にはならないそれは放置しておく、そういった決定がいかなるシステムで可能になっているの?意識できないところで身体が自動調整しているナニかを畏怖する心が段々と大きくなってきた。

今日は、『私の身体は頭がいい』という本をたまたま手に取った。内田樹さんの本だ。なぜ手に取ったかと言うと、本の題名が、普段わたしが、身体は天才、いつまでたっても、私が身体の天才を理解できる日はこないだろうけど、少しでも身体に教えてもらって学ぶしかない。という思いをもっていたので、その心境にピッタリの題名だったので何が書かれているのか気になったからだ。本の内容は内田さんの武道の経験から繰り出されるエッセイだったが、私の自動運動の経験に通じうる指摘が多々あったので記載しておく。この本で興味のもったフレーズを3点抜き出しておくと、『わがうちなる自律的身体』『非中枢的身体論』『「無意味な」動き』だ。

合気道においては、非日常的身体運用が必要となる。日常的な身体運用はそれほど速く強く動いても予測の範囲内に収まる。一方非日常的な身体運用は、緩慢であっても予測ができない点で回避が難しい。非身体的運用の技法には筋力とか瞬発力とかはまったく関係ないのだという。重要なのは「わがうちなる自律的身体」の解放のプロセスであるそうだ。私の理解でいうと、武術的身体運用は皮質脊髄路のような、大脳皮質(内田さんはそれを中枢的と表現されている)経由の意思でのコントロールによる身体運用ではなく、中脳や橋や延髄そして脊髄といった大脳皮質の物理的にも下に位置している大脳皮質よりもずっとずっと古い歴史をもつ部位による、意識にのぼらない運動調整機構を駆動するということだ。それを、内田さんは、武術的な身体運動とは「現場処理」する身体と表現する。気功でいう自発功や、野口整体における活元運動も、私が言っている自動運動も、言い方は違えどまさに、内田さんが武道の考察の中で見出した非日常的身体運用に通じていると思われる。

また非中枢的身体論というテーマの中で、内田さんの師匠の日本の武道の心の道についての言葉が紹介される。武道の心の1つの道は武士道。もう1つの道が、密教と禅、神道の修行によって得られた、精神集中の感覚によって鍛えられた、いわば、精神集中の科学としての心の持ち方と使い方から発した道だ。師匠は後者の道を時代によって変化を受けない普遍的な道として重要視しているという。

武士道における武道は私の理解では複雑な道を歩んできたと思う。江戸時代初期ぐらいまではまさに武士は現場に出て命をかけて戦うために、武術を必要とした。とはいえ、その後は平和な時代が続くことになって武士にとって武道は実践としてあるものではなく、武士が世の中を治めるにあたっての教養のようなものになったのだと思う。実際に武術を使って命をはって戦ったりはしないけれども、いざというときはそういう能力が使えて死ぬ覚悟もできているという武士としてのプライドの拠り所のようなものだったのではないか。とはいえ、そういった武士道も、歴史が流れるにあたり消えていく。しかし、もう1つの道、人間とは何か、宇宙とは何かといった、世界観、生命観に根ざす道は失われることがないのではないか?

このもう1つの道は、内田さんの師匠も言うように決して武士道において限定されるものではなく、それこそ、武士道が生まれるよりもずっと前からある、密教神道の修行とも通じることになる。非中枢的身体の動きは、それこそ合気道だけでなく各種の宗教でも重要視されてきた歴史が存在する。それは、一見『「無意味な」動き』のように思えるかもしれない。しかし、そこに神秘をみてきた歴史が存在しているようだ。2019年までのわたしもそうだが、中枢的身体にがんじがらめになって硬直化している身体には、なかなか非中枢的身体の動きを会得しにくい環境にあるのかもしれない。しかし、リラックスして身体をゆだねる感覚を取り戻す時、大脳皮質よりもずっとずっと昔から存在していた脳の部位が活性化される可能性が誰にでもあるのではないか。内田さんの紹介されている養老先生の言葉がわたしは大好きだ。「人間の意識はたかだか数十年の記憶しか持たないが、身体は数十億年の記憶を持っている」