瞑想脳を拓く1

「瞑想脳を拓く」という著書において、医学者である有田秀穂先生がセロトニン仮説を紹介している。有田先生は座禅の脳波実験を行なっており修行僧が座禅を行なっている時には、脳波上にα波が出現するようになる。さらに修行の進んだ僧侶では、θ波の出現が認められるという。α波やθ波は、我々が睡眠中に出現するδ波よりも振動数が多いが、通常活動している時ののβ波よりは振動数が少ない。

 

有田先生は脳波におけるα波の出現には呼吸筋のリズム運動が関わっていることを実験で調べた。ここで重要となるのは呼吸調節には2つの異なる経路がある点である。1つ目の呼吸は延髄の呼吸中枢による自律性呼吸である。これは、我々が普段無意識に呼吸している時に使われる経路となる、一方α波の出現に関係する呼吸は大脳皮質からの随意的、意識的な指令による腹筋収縮による呼吸となる。瞑想に関わっていく呼吸(仏教では調息と言われている)には、後者の呼吸が関わる。吐くことをまずは意識して始められる意識的な呼吸法では、安静時には活動しない腹筋が意識的に収集するリズム運動が生じる。この意識的なリズム運動こそが丹田呼吸法と言われてきたものでありα波を出現させることにつながっているという。

 

また、有田先生は呼吸法でα波が出現するようになるのは「セロトニン神経が活性化した効果である」という仮説をたてる。その根拠としては、呼吸法の前後に尿中のセロトニン濃度を測定してみると、呼吸法後にセロトニン濃度が優位に増加したことによる。セロトニン神経(セロトニン神経伝達物質として使用する神経という意味。)とはノルアドレナリン神経と並んで、人間意識の覚醒状態を生み出す。2つの神経は広汎な脳領域に投射し持続的に一定量神経伝達物質を投射する。しかし、ノルアドレナリン神経とセロトニン神経の決定的な違いは、前者が大声や痛みといった外部環境の変化によるストレスに反応するのに対し、セロトニン神経は、それをしない。ここが非常に興味深い。で、セロトニン神経はなにに刺激されるのかというと、呼吸、歩行、咀嚼などのリズム運動なのだという。

 

リズム運動を継続的に続けていくとセロトニンが放出される量が増加することになる。とはいえ、一過性のリズム運動ではその効果は持続しない、僧侶のように毎日継続して坐禅するといった習慣化が必要となるのは、セロトニンを抑制する受容体の出現をおさえるための、遺伝子レベルのでのコントロールが必要となるからである。ここで情報伝達を行う神経が2つあるとする。まず1つ目の神経の末端からは、セロトニンが情報伝達物質として放出され、2つ目の神経の受容体へセロトニンが受け渡される。車にはアクセルとブレーキがあるように、1つ目の神経にもブレーキが存在する。というのは、セロトニン神経細胞同士の間隙に増加してくると、これ以上増えたらやばいんじゃない?といいうことを感知するシステムが存在している。それによって、1つ目の神経が、セロトニンを自身の細胞に取り込んでしまう受容体が存在する。よって、リズム運動を行って、すぐはセロトニン濃度が増えるんだけど、しばらくするとその濃度は減ってくるシステムがあるのである。しかし、リズム運動を毎日続けていると、セロトニン濃度を減少させる方向に働く抑制受容体自体が、細胞膜に出現する量が減ってくる。これをダウンレギュレーションという。これには、遺伝子が関わってくる。つまり、セロトニン抑制受容体を構成するタンパク質を翻訳しない、ひいては、そのタンパク質に関係するmRNAをDNAから転写しないというプロセスが必要となる。ここまでくると、1つ目の細胞膜にセロトニン抑制受容体が減少することになる、よって以前よりもセロトニンが2つ目の神経へ受け渡されていく量が増えていくこととなる。



有田先生のリズム運動がセロトニン神経の活性化につながるという仮説は大変興味深い。呼吸、歩行、飲食、音楽、ダンス、走行、水泳、人間の活動にはいろんなリズム運動が存在する。実のところ、僧侶のように坐禅修行を行わなくても、我々が普段行なっているリズム運動の時間にα波を出現させることは可能ではないかということを示唆してくれる。